2008-10-01から1ヶ月間の記事一覧

Welton 2003

Donn Welton "THe Systematicity of Husserl's Phenomenology: From Static to Genetic Method," 2003. さっと読む。フッサールの思想が1920年代前半にどうやって進展したかについての論述は、かなり説得的。後期フッサールを読むための絶好の見取り図ないし…

1907-9年あたりのフッサールをいろいろ

超越論的観念論が成立したころのフッサールのテクストを、いろいろ読む。Hua. VII, XIII, XXIV, XXVI, XXVIII, XXXVIあたり。ここしばらくは志向性の存在論に気を取られ、実証的な経験科学としてのフッサール文献研究のやり方をちょっと忘れてしまっていたの…

Priest 1999

Stephen Priest "Husserl's Concept of Being: From Phenomenology and Metaphysics," 1999. 斜め読み。いろいろと細部にわたってフッサールを誤解しているとのだけど、いくつか重要な論点を提出しているような気がする。今度もう少し真面目に読んでみるか。

形而上学における志向性の方法

後半部分が思いっきり未完成のまま発表。まあ大筋に関しては問題ないようだ。あとはどれだけきちんと詰められるかという点だけ。

この一週間

発表後のアパシーに苦しめられつつも、次の発表に向けて作業開始。まあどうにかなりそう。これまでで一番「フッサールと私」度の高いものになるな、たぶん。

「志向的対象抜きの志向性の存在論:初期フッサールと後期チザムにおける」

発表。もろもろの事情で手持ち時間が非常に短かったので、コンパクトに話す。まあそれなりの手応え。

志向性の存在論

配布資料を作成。

志向性の存在論

スライドを仕上げる。

Husserl, Hua. XXXVI

Kant, KpV

志向性の存在論(仮)

図を残してスライドがほぼ完成。あとはどこを飛ばすかだ。

志向性の存在論(仮)

同前。あと、スライドを作り始める。人生初スライド。

志向性の存在論(仮)

最初の節がなかなか終わらない。問題設定が一度きちんとできちゃえばあとは楽だ(と信じたい)。

Williamson 2007

Timothy Williamson, The Philosophy of Philosophy, Introduction & chap. 1. 作業の合間に眺めていたら、第一章の終わりまで来てしまった。これはかなり面白い本なのかもしれない。ここまでを読むかぎりでは、自分が現代哲学(というか、「現代哲学」と現…

志向性の存在論(仮)

余計な論点を切り落として、必要な補足を付け加えながら、全体を書き直していく。ようやく仕上げ作業に入った(と信じたい)。

Kant, KpV

Immanuel Kant, Kritik der praktischen Vernunft, 3. Hauptstück. カントゼミの準備続き。なんとか終わらせる。

Kant, KpV

Immanuel Kant, Kritik der praktischen Vernunft, 3. Hauptstück. カントゼミの準備。Achtungについてのくだり。難しいけど面白い。

Thomasson 1999

Amie L. Thomasson, Fiction and Metaphysics, chap. 8. 第八章後半部。Thomassonによるカテゴリ論の実践編というか簡単なデモンストレーションというかそんな感じ。どうも彼女が「theory of categories」ということで考えていることがしっくりこない。あと…

Timmons 2002

Mark Timmons Moral Theory. An Introduction, 2004, ch. 1. 規範倫理ゼミ。このあたりは知らないことだらけなので、かなり勉強になりそうな予感。

Forbes 2004

Graeme Forbes "Intensional Transitive Verbs"*1 SEPのエントリ。某氏の薦めにしたがって、最初の三節を読む。やっぱ言語哲学をきちんとやらないとだめだな。と思い続けて早何年だろうか。 *1:http://plato.stanford.edu/entries/intensional-trans-verbs/

志向性の存在論(仮)

原稿をとりあえず完成させ(たことにし)て、発表。いろいろと指摘される。

志向性の存在論(仮)

だいぶ輪郭ができてくる。なんとかなりそう。

Husserl, Hua. XXXVI

Edmund Husserl, Transzendentaler Idealismus, Hua. XXXVI, Nr. 6, §7. レアールな事物は射影するが、体験は射影しない、という例のアレ。フッサールがここから引き出したい帰結は、認識論的というよりも存在論的なものだと思うのだけど、果たしてどうなの…