Husserl, Hua. XXVI

  • Edmund Husserl, Vorlesungen über Bedeutungslehre, §§ 29-30.

訳読。フッサールがここで使っている「同値Äquivarenz」概念は、ふつうのそれとちょっと違うので注意が必要だ。pとqがこのいみで同値であるのは、「pという事態=qという事態」が成り立つときそのときに限られる。では事態の同一性条件はどのようなものかというと、「p」や「q」に含まれるsub-sententialな表現の値Wertが、すべて同じであるというもののようだ。つまり、問題の二つの事態が、同じ対象(つまり個別者)と性質(ないし関係)からなるときそのときに限り、それらは(「根底Grund」ないし「事象Sache」において)同一であるというのだ*1。(個別者はさておき)性質の同一性条件は何かということは、当然問題にされるべきではあるのだけど、フッサールはそこまでは突っ込んで考えてはくれない。その代わりに、「ある対象がある性質を持っていること」というカテゴリ的形式を、二つの事態に共通する同一のものと見なすべきかどうか、ということを気にしている。ただし、回答の歯切れはあまり良くない。ここでフッサールが取り組んでいるのは、ようするに、formal ontological relationそのものはどういう身分を持っているのか、という問題だと思う。Loweの The Four Categories Ontologyに似たような話があったな。

*1:aRb」と「bRa」(ただしRは非対称的な関係)にそれぞれ対応する事態は、構成要素を同じくしているけれど、同一ではない、という反論にフッサールがここで(そして、確認できたかぎりすべての箇所で)悩まされないのは、性質ないし関係ということで、普遍者ではなく個別的なもの(つまり)トロープが考えられているからだと思う。そしてこのような立場は、Vallicella 2000によれば、ブラッドリーの無限後退の問題を回避できるという。(もちろん、それに固有の問題が新たに生じるとはいえ。)