Voltolini 2000&2006

  • Alberto Voltolini, "Are All Alleged Possible Objects There?," 2000.
  • Alberto Voltolini, "Are There (Nonexistent) Intentionalia?," 2006.

一昨日読んだもの。2006年論文は基本的にTim Crane批判(心的状態の個別化に志向的対象を使っておきながら志向的対象をdispenseするのっておかしくない?という趣旨)で、目下の課題とはあまり関係なかった。2000年論文は使えそう。どうやらVoltoliniは、初期ラッセル流のbeing/existing区別を導入して、possibiliaをpossibly existing actual entity(entityである以上、これはbeingを持つ)と見なしたいらしい。 その過程で、マイノング主義とルイスの違いは、存在概念の複数化ではなく*1、性質についての考え方の違いにあるという所見が出てきて、我が意を得たりという気分になる。とはいえ、ルイスが現実世界と可能世界にいかなるcategoricalな違いを認めなかったように(現実性についての指標説)、マイノングは(狭いいみで)存在するものとしないものに関して同様の見解を持っていたかというと、それは結構微妙だったりするのだけど。マイノング主義にとって本質的なことって結局のところ何なのか、だんだんよく分からなくなってきた。確実にいえるのは、丸い四角のような不可能対象の承認がマイノング主義の必要条件だということくらいか*2

*1:というのも、制限された量化子と無制限の量化子の区別というかたちで、ルイスの体系にも同様の区別は存在するから。

*2:すると、ルイスはマイノング主義者ではありえないことになる。