Kriegel 2008

  • Uriah Kriegel, "The Dispensability of (merely) Intentional Objects," 2008.

これも、志向的対象をなしですませようとする、副詞説の立場からの論文。賛成はできないけど、面白い。もし志向性が外在主義的なしかたで個別化されるなら、志向性の副詞説はそれを正しく説明することができない、ということをはっきりと認めていたり。(つまり、Kriegelは志向性について内在主義の立場を取る。)ただ、志向的対象の存在にコミットしたら、存在論において取り上げられるputative entitiesのすべての存在にコミットしたことになる(というのも、それらはすべてthinkablesであるかぎりで、潜在的な志向的対象なのだから)というのは、ちょっと性急すぎる思う。