Twardowski 1894

  • Kasimierz Twardowski, Zur Lehre vom Inhalt und Gegenstant der Vorstellungen, 1894, §8.

「表象されたものの部分 Teil des Vorgestelltes」として特徴づけられた「徴表 Merkmal」が、「表象されたもの」の多義性によって多義的になってしまうことと、多くの論者がその多義性に気付いていないということの指摘。表象の内容と対象は、その構造に関して(おそらくは完全に)並行的である、という考えが繰り返さし表明される。フッサールが『論研』第四研究で指摘したように、この考えは、非常に困難な帰結をもたらすように見える。が、トワルドフスキにとって、その帰結の困難は、たぶん見かけ上のものに過ぎない。というのも、ここでは、表象の対象は、いわばその背後にその未知の原因があってもかまわないような水準に位置づけられるものと考えられているのである。(ちなみに、このことが第七節で最初に表明される際に、カントによる物自体と現象の区別に言及がされる。)このような考えがフッサールにとって我慢ならないものであることは明らかで、フッサールのトワルドフスキ批判の本当の動機と論点はこの辺に見いだされるはず。なのだけど、フッサール自身が、この論点を他のものとごっちゃにして議論をしてしまっているので、その辺をきっちり解きほぐす必要がある。根深く重要な問題。